堤清二はいかに流通産業をデザインしたか

掲載日:2015年2月12日

―ビジネスとクリエイティビティ―
セゾングループ創業者の堤清二氏が2013年11月25日に86歳で死去した。彼の流通産業における足跡を、企業デザインの視点で振り返ってみたい。

流通産業に文化を取り入れ、時代を拓いた

1970年代から1990年代初頭にかけ、西武百貨店、パルコ、西武美術館(セゾン美術館)などからなる生活総合産業セゾングループは、流通産業のみならず、さまざまなジャンルのカルチャーシーンをリードした。

しかし、堤清二が父堤康次郎から西武百貨店を引き継いだ当初は、そのような栄光から程遠い状況であった。三越、伊勢丹など伝統ある呉服店由来の老舗と比べ、新興の鉄道会社が開業した西武百貨店は三流と見られ、経営状況も芳しくなかったという。

事業を立て直し、ブランド力を強化すべく、彼は、エルメス、イヴサンローラン、アルマーニなど海外の高級ブランドをいち早く取り入れ、従来とは異なる百貨店像を形成していく。

また、百貨店内に文化施設を積極的に作っていった。現代美術に特化した「西武美術館(後のセゾン美術館)」、そのミュージアムショップであった美術書専門店「アール・ヴィヴァン」、先鋭的な品揃えを特徴とした書店「リブロ」などを展開し、消費と文化の融合を目指していた。

若者層をターゲットにした商業施設パルコの存在も大きい。1960年代末、池袋に1号店を開き、1973年に渋谷店がオープンしてから本格的にブレイク、渋谷パルコ周辺の一角を流行発信の街に変えた。パルコパート2に登場したブティック「イッセイミヤケ」「コム・デ・ギャルソン」などが斬新な売場編集を通じて新しい衣服デザインを提案し、セゾングループが放つクラブクアトロ、パルコミュージアム、パルコ劇場、シネクイント、パルコ出版などが次々とサブカルチャーの発信拠点となっていった。

これらをディレクションするために、時代を代表するクリエーターを多数起用した。

セゾングループのクリエイティブ・ディレクターを務めた田中一光のほか、アートディレクターの浅葉克己、石岡瑛子、小池一子、イラストレーターの山口はるみ、和田誠、インテリアデザイナーの杉本貴志、内田繁、コピーライターの糸井重里、日暮真三、建築家の菊竹清訓、写真家の石元泰博、坂田栄一郎、アーティストの大竹伸朗ほか数多くのクリエーターが、セゾン文化を形作っていったのである。

一見、イメージ先行にも見えるが、堤清二が目指したのは、物質と精神の両面から新しい価値を消費者に提示することにより、因習から解き放たれた自由で豊かな文化を商業分野から作っていくことであった。

西武百貨店がキャンペーンで用いた、糸井重里による「不思議、大好き。」「おいしい生活」というキャッチフレーズには、日常生活に見いだす心のときめきや充足感が表現されており、堤清二の思想が反映されている。

過剰消費社会に異議を唱える

セゾングループが消費者の支持を集めていくにつれ、グループ自身が権威になるとともに、過剰消費社会の一翼を担ってしまうという矛盾を抱えるようになった。

そんな課題を解決するべく、堤清二が田中一光とともに発案したのが「無印良品」であった。ブランドをつけないこと、品質や機能を必要最低限に抑えることによって適正価格の商品を実現できると考えたのである。

『無印ニッポン』(堤清二・三浦展著、中公新書)によれば、発案当初、堤清二は社内で「これは反体制商品」だと説明したが、なかなか理解が得られなかったという。

「反体制」の意図は「みんながアメリカ的豊かさを追っているときに、『それにはあまり賛成しないよ』と異議を唱える」ことであり「ファッションがあふれている時代に、ファッション性を追求せず、そしてそのことが結果としてかっこいいのではないかというメッセージ」だった。 最低限の機能とシンプルなデザインを提供し、使い方は消費者自身が決めるという消費者主権を目指したのである。

無印良品のアートディレクションは、当初田中一光が担当し、田中が亡くなる直前に、原研哉に受け継がれた。原研哉は、自著『デザインのデザイン』(岩波書店)の中でこう述べている。

「作者やデザイナーのエゴイズムを排し、最適な素材で最適な形を探る中で、もののエッセンスが顕在化するような、独創的な省略ができれば理想的だが、それは『省略』というよりもむしろ『究極のデザイン』と言うべきだろう。発足当初は『NO DESIGN』を標榜していたけれども、実は無印良品の思想を正確に実現するためには非常にレベルの高いデザインが必要であるということが徐々に判明してきたのである。」

経営に、ビジョンとクリエイティビティを

堤清二は一時代を作りながらも、結果的に経営者としては失敗した。バブル崩壊後の長期不況に備えた経営戦略を立てることができなかった。特に不動産・ファイナンスへの投資により多額の負債を抱え、セゾングループの解体を招いた。ワンマン経営の問題も指摘されている。彼の独走にしばしば社員は翻弄されたとも言われ、その思想は十分に伝わっていたとは言いがたいようだ。

しかし、経営主体が他社に移譲されたとしても、セゾングループの事業の多くが、堤清二の理念を内包して引き継がれている。例えば無印良品は、ユニクロなどの台頭にも関わらず今なお根強いファンを持つ。製品ラインアップは生活全般をカバーするに至り、環境保全やより良いくらしへのメッセージを送り続けている。

経営者は企業を維持するために、経営環境と自社の経営状況をシビアに把握し、地に足のついた事業活動を行っていかなければならない。一方、企業を発展させるためには、自社が何のために存在するのか、顧客は自社の製品・サービスの何に対して対価を払うのかを、常に自らに問い続ける必要がある。

顧客の要求に沿った製品・サービスを提供するのが事業の基本であるが、成長を持続的なものとするには、顧客の潜在的な要求を掘り起こし、ほかのどこにもない製品・サービスによって、顧客に驚きと感動を届けることが必要である。

そのためには、まず経営者自身が明確なビジョンを持たなければならない。そのビジョンを実現するために、ビジョンに見合ったプランナーやクリエーターを適切に選んで起用していくことが必要になる。

企業の持続的な発展のためには、経営者は自らのビジョンを社員に語り、共有しなければならない。社員のモチベーションこそが企業の永続性の鍵なのである。

堤清二の遺業はその栄光からも失敗からも、経営者が学ぶ点がまだまだあるのではないだろうか。

(研究調査部 石島 暁子)

参考文献・サイト

『デザインのデザイン』原 研哉 著/岩波書店 2003年
『無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』堤 清二・三浦 展 共著/中央公論新社 2009年
『セゾン文化は何を夢みた』永江 朗 著/朝日新聞出版 2010年
『戦後日本デザイン史』内田 繁 著/みすず書房 2011年
【寄稿】追悼・堤清二(辻井喬)さん ライター・永江朗 – MSN産経ニュース

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(2013年12月19日初掲)