大日本印刷が運営する文化施設「市谷の杜 本と活字館」で2月21日~5月31日に開催された企画展「明朝体」は、日本語書体のスタンダードの一つである明朝体のデザインの特徴や、書体の開発・製造の歴史を紹介することで、書体の奥深さや豊かさを伝えるものであった。

展示内容は、明朝体の歴史について現代から明治時代初期へと遡る構成となっていた。会場では、壁面いっぱいに2020年代から1868(明治元)年までの年表が掲示されているほか、明朝体の中でも代表的な9書体を選定し、各デザインの特徴や開発の経緯について、設計資料や書体見本帖などの実物を展示しながら解説した。

以下では、展示内容および会場で配布されたパンフレットを参考に、明朝体の特徴と歴史について、展示構成とは逆に過去から現在への歩みを追う形で見ていく。
文字デザインの特徴
明朝体は筆書の楷書体の形を様式化し、正方形の字面に収まるようにデザインされた書体である。その特徴が顕著に現れているのは漢字の形であり、縦画・横画が直線で表現され、縦画が太く横画が細いこと、さらにハネ・ハライなどは筆運びの特徴を残した曲線で表現されていること、そして横角の終筆に「ウロコ」と呼ばれる三角形が付くことなどが挙げられる。

一方、平仮名・片仮名・英数字・記号の形は漢字と違ったスタイルで、例えば平仮名は筆書に近い曲線で構成され、英数字や記号は欧文書体のセリフ体になっている。
また、明朝体は書籍の本文などの長文に使用されることが多い。そのため、長時間読んでも疲れにくく、なおかつ文章に集中できるように、個性よりも読みやすさを重視してデザインされてきた。
明朝体の起源と日本での歩み
明朝体という呼び名は日本独自のものである。その由来は明確ではないものの、中国の明朝からもたらされた文字であるからという説が数多く見られる。
中国の明時代(1368〜1644年)には出版文化が花開き、書物を迅速かつ大量に印刷することが求められた。だが、当時の印刷方式の主流は木版(整版)印刷1 であったため、版木に効率よく文字を彫刻できるよう、楷書体の形を単純化したものが明朝体の始まりであるとされている。
日本で明朝体が知られるようになったのは、明から輸入された印刷物を通じてであるとされている。そして、日本の印刷物に明朝体が本格的に使用されるようになったのは明治時代以降である。1869年、アメリカの印刷技師であるウィリアム・ギャンブル2 が、本木昌造3 の招聘により来日し、西洋式近代活版印刷術と活字鋳造技術を伝授した。これを契機として、漢字や仮名など日本語表記に必要な文字の金属活字が本格的に開発・製造されるようになり、日本における近代的な印刷技術の幕開けとなった。
その後、印刷・製版方式の進化に伴い、書体の開発・製造を取り巻く環境は、以下のように変化してきた。
金属活字
ギャンブルによってもたらされた活版印刷術は、明治初期から1960年代まで印刷技術の主流となっていた。母型を鋳造機にセットし、溶解した鉛合金を流し込んで製造された金属活字が文字の印刷に使用された。この母型の製造には「電胎法」4 (写真3)や、「ベントン彫刻機」5 (写真4)などが用いられており、そのいずれもが文字を彫刻する工程を伴っていた。
写真植字(写植)
戦後の復興期から1970年代前半にかけてオフセット印刷と写真製版が普及したのに伴い、これに適した技術として、カメラの原理を応用した写真植字が広く用いられるようになった。複数の文字を並べてネガに焼き付けた「文字盤」(写真5)を写真植字機にセットし、専用のレンズで拡大・縮小したうえで印画紙に焼き付ける仕組みである。焼き付けられた文字は版下台紙に貼り込まれ、図版原稿と組み合わせて写真製版することで刷版となった。文字盤の元となる文字(原字)は手書きで作成されるため、自由なデザインが可能となり、個性的な書体が多数生み出された。

デジタルフォント
1980年代半ば以降、コンピューターのディスプレー上で図と文字を同時にレイアウトできるDTPが急速に普及し、印刷物のデザイン・制作環境は大きく変わった。そのような技術革新とともに、文字にはDTPアプリケーションで扱えるデジタルフォントが用いられるようになった。書体開発も専用のアプリケーション(写真6)で行われるようになり、デザインの自由度と開発スピードは格段に向上した。

代表的な書体の紹介
以上の歴史を踏まえ、展覧会の企画チームが選定した9書体について、金属活字・写植・デジタルフォントへの変遷に沿って紹介する。
築地体(東京築地活版製造所)
形式:金属活字(電胎母型)/リリース年:1903年
デザイン:竹口芳五郎・竹口正太郎・鈴木彦次郎・安藤末松(東京築地活版製造所)
東京築地活版製造所は本木昌造の門下であった平野富二6 によって開設され、ギャンブルから伝授された電胎法を用いて活字の製造・販売を行った。同社で作られた書体は「築地体」と呼ばれ、デザインが徐々に改良されサイズも増えていった。1938年に経営不振で解散となったものの、築地体のデザインは後発の多くの明朝体の参考となった。

秀英体(大日本印刷)
形式:金属活字(電胎・ベントン)、手動写植、電算写植、デジタルフォント
リリース年:1912年
種字:沢畑次郎・河村鋃太郎/ベントン原図:澤田善彦・小野秀(大日本印刷)、松橋勝二
デジタルフォントデザイン:小野秀・高橋耕一(大日本印刷)
平成の大改刻:字游工房・リョービイマジクス・金井和夫
大日本印刷の前身の一つである秀英舎が開発した書体で、100年以上にわたる歴史を持つ。秀英舎は1876年の創業からしばらくの間、東京築地活版製造所から活字を購入していたが、やがて自社での活字開発に取り組み、1912年に初号から八号までを完成させた。その後も見出し用・本文用などバリエーションを増やし、写植用の書体や自社のコンピューター組版システム(CTS)用の書体も開発した。そして2005年からは「平成の大改刻」と名付けたプロジェクトに取り組み、自社のCTSやDTPで使用してきた書体のデザインを全面的に見直すとともに、現代のニーズに合わせた新書体も開発した。

イワタ明朝体オールド(イワタ)
形式:金属活字(ベントン)、手動写植、電算写植、デジタルフォント
リリース年:1953年(イワタ明朝体オールドとしては2000年)
ベントン原図:高内ー(岩田母型)/デジタルフォントデザイン:橋本和夫
書体デザインのもとになったのは、活字書体「岩田明朝体」である。端正なたたずまいや、文字を組んだときのリズム感が特徴で、書籍や雑誌の本文書体として幅広い支持を得てきた。写植用に写研・モリサワの両社から文字盤が発売された。さらに2000年にはデジタルフォントとしてデザインを見直し、「イワタ明朝体オールド」と改称して発売した。
![『岩田母型製造所 活字母型書体見本』(複製)[1960年/イワタ 所蔵]](https://www.jagat.or.jp/wp-content/uploads/2026/06/minchotai_iwata.jpg)
本明朝(リョービ)
形式:金属活字(ベントン)、手動写植、電算写植、デジタルフォント
リリース年:1958年(本明朝しては1982年)/デザイン:杉本幸治
もともとは欧文活字の製造・販売会社である晃文堂が1958年に「晃文堂明朝」として発売した書体であり、欧文と組み合わせても細く見えないよう、当時の明朝体としては横画を太く設計したのが特徴であった。その後、晃文堂はリョービグループに加わってリョービイマジクスと改称し、リョービが開発した写真植字機に搭載する書体として晃文堂明朝の改刻版の「本明朝」を1982年に発売した。なお、Windowsに標準搭載されている「MS 明朝」(リコー)は、本明朝の字母がベースとなっている。

石井明朝(写研)
形式:手動写植、電算写植、デジタルフォント
リリース年:1933年/原図:石井茂吉(写研)
改刻デジタルフォントデザイン:鳥海修・伊藤親雄・岩井悠・中野正太郎(字游工房)、
原野佳純・木村卓・小針優弥(モリサワ)
写研創業者の石井茂吉が原図を手掛けた書体。東京築地活版製造所の12ポイント明朝をもとに、横画を太めに整えたり、起筆の打ち込みを加えたりするなどの調整を行った。柔らかく上品なイメージが特徴で、1970年代から1990年代まで出版・印刷業界で広く支持されてきた。なお、デジタルフォントは長らくリリースされていなかったが、モリサワとの協業により2024年に一般販売され、話題となった。

リュウミン (モリサワ)
形式:手動写植、電算写植、デジタルフォント/リリース年:1982年
デザイン:森 輝(モリサワ文研)、森川龍文堂
1982年に写植用として発売された書体で、癖がなく汎用性の高いデザインが特徴である。デザインのモデルとなったのは、活字鋳造会社であった森川龍文堂の「新体明朝」四号サイズであり、同社から譲り受けていた活字見本帳をもとにモリサワが写植用にデザインしたものである。1989年にはアップル製のプリンター「LaserWriter II NTX-J」に搭載され、DTPで使用できる最初期の日本語フォントともなった。

ヒラギノ明朝体 (SCREEN GA)
形式:デジタルフォント/リリース年:1993年/デザイン:宇游工房
広告や雑誌などへの使用を想定し、都会的で若々しいイメージでデザインされた書体である。文字の内側を広めにとってゆったりとさせ、ウロコやハライの先端などを尖らせている。アップルのMac OS Xのシステムフォントとして搭載され、現在はiPhoneやiPadなどにも搭載されている。

筑紫明朝(フォントワークス)
形式:デジタルフォント/リリース年:2004年/デザイン:藤田重信(フォントワークス)
主に書籍の本文用に開発された。左右の幅を若干狭くしてスリムな印象を与えている。また、活版で印刷された文字特有の、インキのにじみによる柔らかな雰囲気を再現するため、起筆部などの形に丸みを持たせているほか、横画も太めに設計している。

貂明朝(アドビ)
形式:デジタルフォント/リリース年:2017年/デザイン:西塚涼子(アドビ)
広告コピー、書籍・出版物のタイトルなどでの使用を想定して開発された書体である。江戸時代の瓦版・浄瑠璃の謡本・寄席文字などに着想を得て構想され、アイデアスケッチは手書きで行われたという。画線の先端が丸く、縦角と横角の太さの差が少ないため、全体に丸みを帯びてやさしい印象のデザインとなっている。

以上見てきたように、明朝体は明治以降の日本の出版・印刷文化と共に歩んできた書体だといえる。近年はPC・モバイル端末などの表示フォントにゴシック体が用いられるケースが増えているものの、文芸書をはじめ出版物の本文書体としては依然として明朝体が主流であることから、読者の根強い支持を受けていることがうかがえる。今後も時代のニーズを反映しながら、明朝体の開発・改良は進んでいくのではないだろうか。
企画展「明朝体」
会期:2026年2月21日(土)~5月31日(日)
会場:市谷の杜 本と活字館 2階展示室
主催:市谷の杜 本と活字館(大日本印刷株式会社)
監修:岡田一祐(慶應義塾大学)
編集協力:雪 朱里
協力:翁 秀梅/Hong Kong Open Printshop Limited/Monotype株式会社/株式会社SCREENグラフィックソリューションズ/アドビ株式会社/一般財団法人印刷図書館/株式会社イワタ/株式会社写研/株式会社モリサワ
展示デザイン:中沢仁美/大重頼士(シービーケー)
グラフィック:大日本タイポ組合
(JAGAT 石島 暁子)
会員誌『JAGAT info』 2026年4月号より一部改稿
関連ページ
- 1枚の木の板に文字と図を一緒に彫って作成した版(整版)を用いた印刷技法。 ↩︎
- 1830年にアイルランドで生まれ、アメリカに移住。北米長老教会が中国でキリスト教布教のために設立した印刷所「美華書館(びかしょかん、The American Presbyterian Mission Press)」の所長を務めた。1869年に所長を辞任した後、長崎に約4カ月間長崎に滞在し、西洋式近代活版印刷術と活字鋳造術の講習を行った。 ↩︎
- 1824年長崎生まれ。オランダ通詞(通訳)を務める中で西洋の技術を知り、特に活字印刷術に関心を持つ。ギャンブル招聘後の1870年に長崎で「新町活版所」を創設、その後本木の弟子たちが各地に印刷所を開いた。 ↩︎
- ギャンブルが伝授した母型製造手法で、明治初期から第2次世界大戦後の1950年代まで主流であった。木材に活字と同じ形・サイズの「種字」を彫って蝋(ろう)で型を取り、銅メッキで成形して母型を得る仕組みである。細かな線が再現できることや、種字の再利用が可能であることなどの利点があった。一方、種字の作成に高度な彫刻技術が求められるうえに、文字の種類・サイズ別にそれぞれ種字を用意する必要があった。 ↩︎
- パンタグラフ(伸縮自在器)の仕組みを用いた母型彫刻機で、1950年代に普及した。まず、2インチ(約50mm)角の紙に文字を書き、それを亜鉛製の板に焼き付け、文字の部分を腐食でへこませることで、「パターン」と呼ばれる型を得る。このパターンの文字をベントン彫刻機の針でなぞると、連結したアームに取り付けられたカッターが、一定の比率で拡大・縮小された文字を真鍮の材料に刻んで母型を作成する仕組みである。1枚のパターンからサイズの違う複数の母型を製造できることや、手書きの文字が利用できることも利点であった。 ↩︎
- 1846年長崎に生まれる。長崎製鉄所の機関方見習であった時期に、当時製鉄所御用掛だった本木昌造と出会う。1869年にギャンブルの講義を受けた後、1872年に東京・神田で「崎陽新塾活版製造所」(後の東京築地活版製造所)を開設した。石川島平野造船所(現:IHI)の創立者としても知られている。 ↩︎




