いつの時代も変わらぬ読書への要求

掲載日:2021年7月26日

印刷博物館で開催された「和書ルネサンス」展にみる、作り手の創造性や、読み手の知的要求を通して、現代社会にも通じる読書の魅力について考える。

凸版印刷 印刷博物館は、江戸時代を中心とした古典文学の復興から文学革新への流れを、印刷・出版との関わりで探る企画展「和書ルネサンス 江戸・明治初期の本にみる伝統と革新」を2021年4月17日~7月18日まで開催した。

「和書ルネサンス」展示会場

「和書ルネサンス」展示会場

本展は3部構成となっており、第1部で江戸時代前期の古典文学復興、第2部で江戸中後期に広がった娯楽の世界を、第3部で幕末以降の近代化の流れを紹介している。

来館対象は印刷・出版関係者のほか、若い世代や古典文学愛好者など幅広く想定しているため、広報物と会場のデザインは柔らかいイメージに、作品解説には「まぼろしのビジュアル本」などくだけた表現を使っている。

くずし字解読のタッチパネルを設けるなど、凸版印刷の技術を生かした仕掛けも見られた。

和書ルネサンスと『源氏物語』

和書ルネサンスとは、近世日本で発展した印刷・出版が古典文学の復興と新しい文学の発展に寄与したことを、西洋のルネサンス運動と印刷・出版の関係になぞらえたネーミングだ。

本展では和書ルネサンスの象徴として『源氏物語』を取り上げている。本作は紫式部による原本が残っておらず、中世まで写本で伝えられた。現在見つかっている印刷本で最も古いものは、慶長初期に出版された10行古活字本と呼ばれるものだ。この時期の活字本は複数の文字を繋げた木活字を用いて草書仮名を再現し、本文紙に色紙を使用するなど美しい造本が特徴である。ただし特定階層の趣味という性格が強く、限られた部数しか作られなかった。

10行本『源氏物語』

10行本『源氏物語』[紫式部 著/京都/1601(慶長6)年以前/活版/実践女子大学図書館蔵]

その後、読書需要が広がるにつれ、一枚の板木に文字と図を彫る木版(整版)が主流となっていく。木版は再版・増刷が容易である上、文字と図を自在に配置できることが利点であった。書店・版元が次々に生まれ、流通の仕組みが整備されるなかで印刷・出版は産業として栄えていく。『源氏物語』は武家から町民まで幅広く知られるようになり、オマージュやパロディも登場した。

例えば江戸後期に出版された『偐紫田舎源氏』は、物語の舞台を室町幕府に移した勧善懲悪話が、洒落た造本と相まって人気を博した。

『偐紫田舎源氏』

『偐紫田舎源氏』[柳亭種彦 著/歌川国貞 画/鶴屋喜右衛門 出版/江戸/1829(文政12)-1842(天保12)年/木版]

そのほか『源氏物語』は絵巻・絵本、錦絵(浮世絵)などさまざまな形で伝えられた。

このように平安時代には貴族階級の読み物であった『源氏物語』が、江戸時代には印刷・出版の発展とともに、庶民へと浸透していったのである。

江戸で花開いた出版文化

リーフレット

本展告知リーフレット

本展の広報物には、本を手に微笑む女性の絵が使用されている。彼女は展示作品『江戸名所図会』の中で、大手本屋・仙鶴堂鶴屋喜右衛門(以下、鶴屋)の店頭に腰掛けて本を吟味しており、その楽しげな姿は、読書が庶民の身近な娯楽であったことを象徴している。

仙鶴堂鶴屋喜右衛門の店頭

本展会場の解説パネルより仙鶴堂鶴屋喜右衛門の店頭の様子。中央左寄りに、告知リーフレットの女性が腰掛けている。 出典 『江戸名所図会』[斎藤月岑 作/長谷川雪旦 画/1834(天保5)年]

彼女が手にしているのは草双紙と呼ばれる、江戸の地で出版された絵本である。その始まりは赤本と呼ばれる子供向けの本だが、やがて年長向けの黒本、青本、さらに文字が多い大人向けの黄表紙、長編の合巻に発展した。草双紙は、浮世絵と並んで江戸の出版文化を彩った。

江戸では草双紙のほかに滑稽本や人情本など、さまざまなジャンルの本が生まれ、内容も恋愛・風俗・洒落・実用書までバラエティーに富んでいた。これら江戸発の娯楽本を地本と呼ぶ。

江戸時代前期は京都・大阪が出版の中心地で、仏教書や学術書、古典文学が主流だったが、江戸中後期に地本が全国に広がると、出版の中心は江戸に移っていった。京都の老舗本屋だった鶴屋も江戸に出店して従来の書とともに地本や浮世絵を扱い、出版事業も手がけた。前述した『偐紫田舎源氏』の版元は鶴屋である。

出版文化の隆盛は、識字教育によるところも大きい。本展では、儒教の教えを伝える伏見版『周易』や、寺子屋の教材であったとされる、漢字学習と書道の手本『寺子読書千字文』などの教材が紹介されている。

一方、江戸時代には出版統制が度々行われた。江戸後期の天保の改革では、『偐紫田舎源氏』や、為永春水著・柳川重信画による恋愛小説『春色梅児誉美』が絶版となり、浮世絵も取り締まりの対象となった。娯楽を求める庶民のバイタリティーとこれを抑えようとする幕府とのせめぎ合いもまた、この時代の特徴である。

現代へ受け継がれる読書の魅力

幕末以降の出版では、日本初の翻訳欧米小説『魯敏遜漂行紀略』、海外への土産物として人気を博したちりめん本、近代教育を支えた辞書・小学読本、現在まで続く俳句雑誌『ホトトギス』などを通じて、西洋文化の流入と近代化のもとでの出版文化を伝えている。これらの印刷には木版のほか、活版、コロタイプなど新しい方式も用いられた。

本展で紹介する時代は明治期で終わるが、印刷・出版の歴史は現在まで続いている。印刷方式は活版からオフセット印刷、デジタル印刷へ、また印刷本のほか電子書籍が新たな出版の形となっている。

それでも、読書の本質が大きく変わらないことを、本展は教えてくれる。地本に書かれた内容は、絵本や漫画、ライトノベルの原型といえる。過去の作品のオマージュやパロディを楽しむこと、それをきっかけに原典への関心が高まることは現代にも通じている。

いつの時代も、人は読書を通じて古に学び、トレンドを読み、時には空想に浸ることで、心を豊かに保ち、明日を生きる力を育んできた。本展は印刷に携わる人々にとって、出版物の役割を捉え直す貴重な機会であった。

(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)

会員誌『JAGAT info』 2021年7月号より一部改稿

和書ルネサンス 江戸・明治初期の本にみる伝統と革新

会期:2021年4月17日(土)~7月18日(日)
主催:凸版印刷株式会社 印刷博物館
協力:実践女子大学図書館、国文学研究資料館、大本山 石山寺

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