ハルキムラカミの経済効果を考えてみよう

掲載日:2015年1月22日

村上春樹といえば、ノーベル賞の時期になるといつも候補者として名を連ね、注目を集めている。

ノーベル文学賞は出版界の救世主になるか

日本人では、過去に川端康成と大江健三郎がノーベル文学賞を受賞している。しかしながら、夏目漱石や谷崎潤一郎、三島由紀夫や安部公房などが、受賞していないのは不思議な気がする(でも存命だったトルストイだって受賞していない)。日本国内の評価とは少しずれているかもしれないが、受賞は世界的なニュースになるし、本は売れるし、経済波及効果は計りしれない。

大江以来の日本人として、最有力候補なのが、村上春樹である。『風の歌を聴け』でデビューしたのが1979年で、その年の芥川賞の候補になった。群像新人賞受賞作で芥川賞を獲ったのは1976年の村上龍『限りなく透明に近いブルー』があり、同ケースかとも思われたが、結局受賞はかなわなかった。

しかし、その後の作品で野間文芸新人賞や谷崎潤一郎賞などを受賞している。またかなりの言語で翻訳され、フランツ・カフカ賞、エルサレム賞などを受賞し、世界中で読まれているためノーベル賞だって(その価値の是非はともかくも)射程距離なのである。

『村上春樹にご用心』

熱心な読者を指す「ハルキスト」という呼称も定着している。1980年代前半に学生だった自分にとってリアルタイムな存在であり、読み終えると必ずビールが飲みたくなるといった個人的な感想もある。しかし、ここでは村上春樹論ではなく、ビジネスとしてのハルキ現象を見てみたい。

『ノルウェイの森』の爆発的な売れ行きで文学ファン以外の人にも広く知られるようになった。単行本・文庫本合わせて1000万部以上発行されている。ミリオンセラーが出にくい状況において、純文学でこの売れ方は異常ともいえる数字だろう。

そのせいかどうかわからないが、専門の評論家には評判が良くなかった。もしかしたら村上が「文壇」から距離を置いていたせいもあるかもしれない。
アルテスパブリッシングから出版された内田樹『村上春樹にご用心』(2007年)では、「どうして文芸批評家たちは村上春樹をあれほど嫌うのか」と問題提起している。村上春樹の文体が、一般受けする軽妙洒脱で、通好みでないのが主な原因ではないか。
フィッツジェラルドはじめアメリカ文学の影響は強くあるし、植草甚一や川本三郎のようなエッセイストや評論家はいたが、それまで村上春樹のような文体を持った作家は日本にはいなかった。

『村上春樹にご用心』が出版された後に『1Q84』が出た。これももちろんベストセラーの仲間入りを果たした。内田樹は加筆したものをまとめて、新装版『もういちど村上春樹にご用心』を2010年に出版している。もちろんその後も村上春樹は作家活動を続けており、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『女のいない男たち』を上梓している。

内田樹は村上春樹が作家活動を続けていく以上、「『もういちど村上春樹にご用心』はどうやら『みたび村上春樹にご用心』、『まだまだ続くよ村上春樹にご用心』といったシリーズになる可能性があります」と新版のあとがきで述べている。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の販促手法

『1Q84』の大ヒットの後、文藝春秋から3年ぶりの長編小説が出版されるというニュースが朝日新聞と読売新聞に出たのが、2013年2月16日、タイトルがあかされたのが3月15日である。これは意図的というよりは、出版社側にも情報が少なくて、結果として小出しせざるを得なかったそうである。

マスである新聞に広告を出稿することが、従来の出版物の宣伝方法であった。タイトルと著者メッセージが公開されるとネット上で騒がれた。その反応の素早さは、amazonでの予約にもつながった。

発売前から注文が殺到して、初版30万部という異例の数字にもかかわらず、増刷を決定、発売時には50万部に達していた。そして4月12日に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が出版され、発売7日目で発行部数100万部という数字をはじき出した。これは文藝春秋の文芸書としては最速の記録だそうである。

SNSやWebを使って若い読者層をつかんだが、一方リアル書店でのイベントなどマスを使うことも同時に行った。
代官山蔦屋書店では、発売日前日23時からカウントダウンイベントを実施した。このイベントは、テレビの生中継にも取り上げられた。神田の三省堂本店では、通常午前10時開店のところ7時にオープンした。ニュースでは「出勤前に入手したい」というニーズがあることを報道していた。その他の主要書店でも本をタワーのように積み上げていた。ネットの利便性とはまた別のリアルな書店だからこそできる優位性をうまく利用した。

ある意味社会現象にもなり、日ごろ本屋に行かない人も足を運ぶ熱狂ぶりだった。Webやマスやリアルイベントなどをクロスしてプロモーションしていく。これは百貨店におけるO2Oやオムニチャネルの状況に似ている気がする。それを仕掛けたのが、文藝春秋宣伝プロモーション局の柏原光太郎氏である。

あれから2年近くたつが、村上春樹がノーベル賞を獲ったらすごいことになるだろうな、というのが素直な感想である。それは想像を超えたお祭り騒ぎになるだろう。

販売にしても大江健三郎の時とは比べ物にならないくらいの経済波及効果が見込めるに違いない。東京オリンピック開催までに受賞すれば、日本の知名度もさらに上がるに違いないと無邪気に考えてしまう。
ご本人の思惑はどうかわからないけど、村上春樹にはぜひノーベル文学賞を受賞してもらい、結果として出版、印刷業を始めとして日本全体の経済発展に寄与してもらいたいと思う。

(JAGAT 研究調査部 上野寿)

●関連情報

出版事情に関するpage2015カンファレンスがあります。
2015年2月6日(金)15:45-17:45
【PM4】デジタルメディア時代の最新出版事情

※本セッションでは、文中で触れたアルテスパブリッシングの鈴木茂氏と文藝春秋の柏原光太郎氏が登壇します。