現在、page2026のことで頭が一杯である。昨年度のpage展は新聞製作技術展(JANPS)との併催だったので、出展社・集客などでの心配は要らなかったのだが、今回は単独開催なので心配しているのだ。ただ、何とかなりそうなので一安心している。
朝日新聞社での実習の思い出
現在、page2026のことで頭が一杯である。昨年度のpage展は新聞製作技術展(JANPS)との併催だったので、出展社・集客などでの心配は要らなかったのだが、今回は単独開催なので心配しているのだ。ただ、何とかなりそうなので一安心している。JANPS出展社に聞いたpage展に関する印象は「すこぶる良い」ので、場合によっては「奥の手を出すか?!」といったことも考えていた。
そのようなわけで新聞のことを考えていたのだが、印刷技術を常に引っ張ってきたのは新聞技術である。組版・製版・(印刷)技術は新聞製作絡みで発展してきたのだ。
私は千葉大学出身だが、工学系では現場での実習があり、必修単位であった。従って真面目にやらないといけないのだが、私のような変人は、工場実習を通常の授業や実験よりも楽しくやらせていただいた。そのときは朝日新聞社で実習したのだが、当時は築地への移転前、現在の有楽町マリオンの場所にあり、日劇と共に印象的な建物であった(ゴジラに何回か壊された?)。1970年代のことで、実習の内容は新聞CTSシステムの実験が中心だった。
その頃、朝日新聞社はIBMと一緒に「ネルソンシステム」という新聞CTSを開発していたので、そのお手伝いをメインに、併せて印刷用樹脂板の検証実験なども行った。現像液の調合(温度)を間違えたのか?泡が出てきてしまい、実験室を泡だらけにしてしまった大失敗の記憶もある。
新聞社は社会科見学の定番コース
新聞(組版)はもともと活字で組まれていたのだが、そのまま組むと平らな版になってしまうので、印刷スピードを出すには輪転にする必要がある。そこで、組んだ活字を、押すとへこむ「紙型」という特別な材料に高温で押し付け、活字の凸部で紙型に文字のへこみを作るのだ。そしてその紙型を、文字のへこみを内側に丸めて特別な型にはめ込み、熱してドロドロになった鉛を注いで固めれば輪転用凸版が出来上がるという具合である。ここから新聞組版技術の進化がスタートを切ったわけだ。
さて、小学生のときの行事に社会科見学があり、私は都内の小学校に通っていたので国会議事堂、羽田空港とともに新聞社見学は必須であった。三大新聞社のどれかに行くという感じだったのだが、読売新聞社だと巨人軍関連のグッズがもらえるので、男子児童の多くは読売を希望していたかもしれない。私の場合、小学校では読売新聞社が見学先だったが、ボーイスカウトなどの活動もしていたので、三大新聞社全てを見学する機会に恵まれた。読売新聞社が大手町ではなくまだ銀座にあった頃の話で、毎日新聞社は現在の竹橋本社を建てたばかりであった。建物では毎日新聞社が群を抜いて立派だったと思う。
新聞製作システムと技術進化
活版から新聞CTSに発展したときに、朝日新聞社は先述のネルソンシステムを、読売系は富士通とタッグを組んで新システムを開発していた。いわゆる「メインフレーム」と称した大型コンピューターによる新聞製作システムである。もちろんダウンサイジングの波は新聞製作にも押し寄せ、メインフレームが小型コンピューターとなり、そしてエンジニアリングワークステーション(EWS)化、パソコンを駆使したサーバーシステムへと発展していったのは、技術進化とシンクロしている。
また、CTS後期には新聞もカラー化が進み、特にスポーツ新聞は見出し文字などに独特の配色を使用するようになった。ただ、当時のCTSではカラーを扱えず、カラー画像はCEPS(Color Electric Prepress System:Scitexやシグマグラムなどのカラー製版システム)で製作していた。文字組版は新聞CTSで、カラー画像はCEPSでという具合である。
シグマグラフは富士通系とタイアップしていたので、読売系のスポーツ新聞である報知新聞社には、私も長期間通った経験がある。特に見出し文字は青系統が主体であり、報知新聞社側もそうしようと考えていたので、当時の整理部(見出しや紙面を決定できる、新聞社の中でも権力のある部署)にお願いして「読売さんは緑系統のイメージですから、緑の見出し文字にしましょうヨ!」と懇願した。ブルー系の見出し文字だとCインキを盛りすぎてしまい、ナイターの写真で投手の顔が真っ黒になるのが嫌だったのだ。なお、現在はカラー画像も新聞CTSで扱えることは言うまでもない。
そのような昔話を思い出していた昨年末であったが、こういった商売柄、世界中の新聞社を訪問した。南アフリカのケープタウンやサウジアラビアの新聞社などについて、いつか語ってみたい。
(専務理事 郡司 秀明)


