伝え合うことの難しさと面白さ

掲載日:2021年4月22日

21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「トランスレーションズ展−『わかりあえなさ』をわかりあおう」は、印刷業界をはじめ情報伝達に関わる人々にとって刺激的な展覧会だ。

トランスレーションズ展会場風景

2020年10月16日から 2021年6月13日まで東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTで「トランスレーションズ展−『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開催されている。
翻訳という言葉をキーワードに、異なる立場のもの同士が理解しあうことの難しさと解決のプロセスを多面的な研究・実践事例を通じて提示する企画だ。

展覧会ディレクターで情報学研究者のドミニク・チェン氏が提唱する「翻訳はコミュニケーションのデザインである」という考えに基づき、言語に限らず、多種多様な翻訳の形を体験できる場となっている。

展覧会名のサブタイトル「『わかりあえなさ』をわかりあおう」とは、コミュニケーションを取る者同士が、伝わらない・理解できない現実を認め合うことである。伝え合う難しさこそが新たなコミュニケーションの出発点であるというのが本展のメッセージである。

会場は7つのセクションに21作品が展示され、それぞれが膨大な情報量を持っている。その一部を紹介する。

異なる言語間のつながりとズレ

Google Creative Lab、Studio TheGreenEyl、ドミニク・チェン氏の「ファウンド・イン・トランスレーション」は、コンピューターによる言語分析によって、異なる言語間のつながりを見つけるインスタレーションである。

鑑賞者がマイクに向かって話しかけると、機械翻訳によって複数の言語に接続され、壁面のモニターに分析過程が図示された後、翻訳された文字が表示される。言語を機械分析することで、全くつながりがないと思われる言語の間に似た構造が発見されたり、人類共通の価値観が浮かび上がったりするという。

「ファウンド・イン・トランスレーション」

「ファウンド・イン・トランスレーション」

イラストレーターのエラ・フランシス・サンダース氏による絵本を紹介した「翻訳できない世界のことば」は、他国の言葉にある独特の表現を発見するとともに、共感や親しみも見つけようとしている。

例えばフィンランド語の「PORONKUSEMA(ポロンクセマ)」は「トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離」を表す。日本人には見当がつかないが、フィンランドの人たちはトナカイを連れてどのくらいの距離を移動していたのだろうと興味が湧く。

「翻訳できない世界のことば」

「翻訳できない世界のことば」

多様な伝え方、受け取り方

口頭での会話も入力もできないタニア・フィンレイソン氏と夫のケン氏はGoogle Gboard teamと連携して「ハロー モールス」プロジェクトを立ち上げ、モールス信号を入力するアプリ「Gboard」を開発し、iPhone、Androidユーザーに無償公開した。
展示された動画には、車椅子に取り付けたスイッチを頭でタップして入力しているタニア氏が映し出されている。その姿は会話ができる喜びに満ちており、コミュニケーションは生きる力であることが実感できる。

「ハロー モールス」プロジェクト

「ハロー モールス」プロジェクト

清水淳子氏と鈴木悠平氏の映像・グラフィック作品「moyamoya room」は、参加者が抱えるモヤモヤとした気持ちを語り、グラフィックレコーディングの手法で視覚化していくワークショップを紹介している。うまく伝えられない気持ちが、絵に表すことで少しずつ明確になっていき、参加者同士の会話も進んでいく。

「moyamoya room」

「moyamoya room」

食を通じて文化の複雑さを知る

永田康祐氏の映像作品「Translation Zone」は、料理を多面的に翻訳している。

料理の歴史的・文化的な側面を取り払い科学的に捉えれば、炒飯もナシゴレンも米を炒めるという点で同じ料理である。

しかしナシゴレンを炒飯と呼ぶことには抵抗がある。それは先ほど取り払われた料理の歴史的・文化的な側面が、料理の名前と密接に結びついているからである。

しかし固有の名前を持った料理も、時代と環境に応じて変化していく。タイ料理のパッタイは本来米粉の麺を用いるものだが、現代の日本ではうどんで代用したレシピが公開されている。うどんを使ったパッタイは、パッタイを名乗りながらも実質は別物になってしまう。

このように、歴史は民族や国家といった大きな単位だけではなく、個人を取り巻く小さな変化によっても作られていく。本作品は深い考察を通じて、文化の複雑な様相を浮かび上がらせている。

「Translation Zone」

「Translation Zone」

さまざまな生き物との交流

ドミニク氏を中心とした発酵プロジェクト Ferment Media Researchによるぬか床ロボット「NukaBot v3.0」は、ぬか床の成分を測定するセンサーとスピーカーが取り付けられ、菌の状態に応じて言葉を発する。

例えば人間が「今どんな感じ?」と話しかけると「食べ頃だよ」などと答える。しばらく手入れを怠っていると「そろそろかき混ぜたら?」と催促する。時にはぬか床のpH値などを勝手に喋り出すこともある。普段は存在を感じることができない微生物たちの声を聞くことができる、ユーモアにあふれた試みである。

「NukaBot v3.0」

「NukaBot v3.0」


ビジネスの世界では誤読・誤解を防ぐために、円滑な情報発信が求められる。だから私たちは、伝える対象や伝える場面に応じて情報の要素を取捨選択し、相手に伝わりやすい形に加工している。これは本展にならえば翻訳という行為である。顧客に対するプレゼンも、コンテンツのデザインも、制作現場の作業マニュアルもこれに当てはまる。経営計画やIR情報もまた企業の姿を翻訳する手段といえるだろう。

しかし分かりやすさが求められるということは、裏を返せば、あらゆる物事に含まれる要素が膨大で複雑に絡み合い、その全体像を捉えるのは容易ではないということなのだ。

分かりにくい世界だからこそ、翻訳への挑戦は尽きることなく、学問や文化、コミュニケーション手法が豊かに発展してきたのである。

本稿で述べてきたこともまた、筆者による展覧会の翻訳であり、見る人それぞれに違った捉え方があることと思う。ぜひ会場で翻訳の世界を体験してほしい。
会場に足を運べない方は、参加クリエイターがウェブや著書などで発信している情報を参考にされたい。どのプロジェクトも画期的な内容であり、深掘りすることで、何らかの気付きを得られるはずだ。

トランスレーションズ展−「わかりあえなさ」をわかりあおう
会期:2021年6月13日(日)まで

(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)

会員誌『JAGAT info』 2021年2月号より

関連情報

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配信期間:2021年4月19日(月)-4月23日(金)

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