石岡瑛子のデザインと印刷

掲載日:2021年3月15日

ギンザ・グラフィック・ギャラリーの企画展「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」を通じて、デザイナーの探究と創造のプロセス、また印刷との関わりを考える。

DNP文化振興財団が運営するギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)は、世界的に知られるデザイナー 石岡瑛子氏の回顧展「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」を2020年12月4日-2021年3月19日まで開催している。

石岡瑛子氏(1938-2012)は1960〜70年代に資生堂、パルコ、角川書店などのアートディレクターとして活躍した後、活動の場を世界に広げ、衣装デザインやプロダクションデザインなど幅広い分野で功績を残した。

本展は、彼女のデビューから1980年代までの日本の仕事に焦点を当て、前期の2020年12月4日〜2021年1月23日は広告・キャンペーンを中心に、後期の2021年2月3日〜3月19日は映画や演劇のポスターやグラフィック・アートを中心に紹介する。

監修は、石岡氏の妹であるアートディレクター・イラストレーターの石岡怜子氏と、かつて石岡氏へのインタビューを行った作家・編集者の河尻亨一氏が務めた。

会場の1階は、石岡氏の作品をもとにした映像作品と彼女が残した言葉を記したパネルで構成。

「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展  1階展示

1階展示会場(前期展示より)

地階に降りると、ポスターをはじめ書籍・雑誌広告・レコードジャケットなどの作品が彼女の言葉とともに展示されている。

「石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」展  地階展示

地階展示会場(前期展示より)

バックグラウンドには、彼女が亡くなる半年前の2011年6月に、河尻氏がインタビューしたときの音声が流れ、闘病中とは思えない堂々とした声で、自身の歩んだ道とデザインの将来への提言が語られている。

全体として、彼女のデザインの表層だけではなく、その精神までが身体の奥に染み込んでいくような深みのある展示となっている。

以下、前期展示と、河尻氏による評伝『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』(以下評伝)を参考に、彼女の軌跡と、デザインの基本姿勢について述べる。

新しい価値観を世に問う

石岡氏のモットーはオリジナリティ・レボリューシショナリー・タイムレス。

流行を追わず、自分が見たいものを表出していたが、同時に自分自身を観客の立場において考えたり、優れた他者の意見を取り入れて、最終的には消費者や観客の共感を呼ぶデザインを作り上げていた。

広告・デザイン業界や社会の常識に異議を唱え、新しい価値観を提示してきた。

例えばパルコの広告では、男性に従うことが女性の美徳とされた風潮に対し、女性が自分の価値観を持って生きることを提案した。一方、男は顔でなく心という風潮に対しては、男性も外見を磨いてほしいと語りかけている。

彼女は自身の実績にもしがみつくことはなかった。
河尻氏が展覧会に寄せたエッセイ「その宝石は輝きを失わない」の中にこんな一文がある。

彼女は、ひとつのプロジェクトが終わるたびに『私』をリセットし、まっさらな“キャンバス”に向き合いながら、だれも見たことのないビジョンをつくり続けてきたのだろう。

制作のコラボレーションでは、あえてその道で実績のないクリエイターを起用することもあり、やがて彼女自身も、映画・舞台の衣装やプロダクションデザインなど未経験の分野に挑戦していくのである。

印刷品質へのこだわり

協業するクリエイターと常に真剣勝負をしていた石岡氏は、製版・印刷技術者にも同じスタンスで接した。

1966年に発表された資生堂ビューティケイクの宣伝ポスター「太陽に愛されよう」は、評伝によると完成までに今日では考えられない困難があったという。当時としては異例のハワイロケを敢行したにもかかわらず、写真の仕上がりが悪かったのである。
石岡氏は、なんとか使えそうな写真を選んで印刷所に足を運び、レタッチと校正刷りを繰り返すことによって、輝く砂浜に、モデルとなった前田美波里の小麦色の肌が映える印象的なポスターに仕上げた。

評伝によれば彼女の色校正は何校にもなる上、指示が具体的でないこともあり、現場との摩擦が多々あったという。

本展に展示されている色校正紙を見ると、勢いのある筆跡で指示が書き込まれ、彼女が思い描く仕上がりと色校正との背離に苛立っているような気配さえ感じられる。例えば、1963年発表の資生堂ホネケーキの雑誌シリーズ広告の色校正では「アイ版又はスミ版によるよごれの様な粒子の荒れは全体の甘い調子をじゃましている」という書き込みがある。

しかし彼女の指示は印刷品質を確実に向上させている。
展示物の一つである渋谷パルコ PART II開店を知らせる広告では、写真の色調の幅、モデルの頭部の輪郭、服のしわなどに細かい指示が入っている。これを反映した仕上がりは深みとキレが増し、新しい商業施設のモダンな印象を演出するものとなった。

製版・印刷工程はデザイナーの心のなかにあるイメージを表出する唯一・最終の手段であり、その品質がデザインの成否を決める。石岡氏は印刷の重要さを理解し、細部に至るまでの完璧な仕上がりを追求した。また技術者の底力に期待し、厳しい要求を出すことで印刷をどんどんバージョンアップさせられると信じていたのである。

石岡氏の功績を引き継ぐには

本展は好評で、若い来場者の姿もある。SNSには展覧会の感想が多数投稿されている。これを機に、石岡氏を再評価する気運が高まることだろう。

彼女のデザインは、時に既存の価値観に疑問を投げかけ、時に人間の真実に肉薄し、世界はもっと豊かで奥深いものなのではないかと問いかけている。

彼女がこの世を去って9年。いまやデザインはデジタルかアナログかの論議を超えてビジネス・経営などあらゆる観点で語られるようになり、グラフィックデザインの立ち位置は揺らいでいる。それは印刷業界にもいえることだ。

そして2020年から続く新型コロナウイルス感染症の拡大によって、世界は大きな岐路に立っている。石岡氏がもし存命だとしたら、この時代にどのようなデザインで応えるだろう。

残念ながら石岡氏自身のアップデートは、その死によって止まってしまった。これからは、彼女の精神に触れた私たちが、新しい時代を開いていかなくてはならない。

石岡氏の功績を引き継ぐことは、彼女のデザインをトレースすることではない。石岡氏が生き得なかった時代を生き、石岡氏が作り得なかった表現を、あるいは新たな表現ジャンルを創造し、世の中に提示することだ。
大きすぎる目標ではあるが、先行きの見えないこの時代には、そのような気概が必要とされているのではないだろうか。

(JAGAT 研究調査部 石島 暁子)

会員誌『JAGAT info』 2021年1月号より一部改稿

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